今回はラ・リーガに所属するレアル・マドリードについて取り上げていきます!
マドリード
▼州 マドリード州
▼県 マドリード県
▼人口 317万人
スペイン中央部に位置するスペインの首都。政治、経済、文化の中心であると共に、世界有数のコレクション数を誇るプラド美術館や、ピカソの傑作「ゲルニカ」を所蔵するソフィア王妃芸術センターなど、世界の絵画に出会うことができる芸術都市である。
日本の東京都と姉妹関係を結んでいます。
レアル・マドリード
▼正式名称 レアル・マドリード
▼愛称 エル・ブランコ(El Blanco)
FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) 、同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれ、どちらも注目を集める一戦となっています。
1895年、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。
1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが誕生した。
1902年にフアン・パドロスが会長となり、前身のクラブが誕生した。
アルフォンソ13世から「レアル」の称号を拝領した。
クラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた。
アルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、スペインは王政から共和制に移行。
その後の約10年間に渡りエンブレムの王冠と共にクラブ名から「レアル」の称号を外された。
スペイン内戦の終了に伴い、エンブレムの王冠とクラブ名に「レアル」の名が戻った。
エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
開場:1947年
収容人数:81,044人
ベルナベウ改修
開場:2023年予定
収容人数:??,???人
・マドリードフットボールクラブを表す「MFC」のモノグラム
・「M」と「C」は直線的なフォント
・「F」はなめらかで曲線的なフォント
・配色は深い青色の一色のみ
・「MFC」のモノグラムは継続
・周囲を円で囲むデザイン
・青と白で配色されたデザイン
・1920年にアルフォンソ13世から「レアル」の称号を拝領
・ブルボン家を象徴する王冠が上部に出現
・「MFC」のバランスが多少修正された
・1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命
・クラブ名から「レアル」が無くなり、エンブレムからも王冠が外された
・王冠の代わりに紫のたすき(斜めの線)が加えられた
・紫色はスペイン王国の旗や国章に描かれているライオンの色が由来
・スペイン内戦が終わり、再び「レアル」の名を取り戻す
・エンブレムにも王冠が復活した
・「MFC」の文字を含め、黄色がデザインに加わった
・紫のたすきが青のたすきに変更された
・クラブの商標を浸透させるために「MFC」の文字が太くなる
・その他、デザインが微調整された
王冠
サッカー好きなアルフォンソ13世から「レアル」の称号を拝領したことで、クラブ名に「レアル」が加わり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられました。
カスティーリャ
スペインの歴史的な地域名。中世にカスティーリャ王国に属していた地域の中心部を指す。
1931年にエンブレムから王冠が取り除かれたときに、代わりに斜めのたすきがデザインされました。これはクラブ創設時にユニフォームに使用されていた青いたすきであり、王国の旗に描かれていたライオンの紫色にルーツがあります。
クラブ発足の1902年、イングランドでトップに君臨していた最強のアマチュアクラブがコリンシャンFCでした。
このクラブが白をベースにしたユニフォームを使用していたため、マドリードも白を採用しました。
時代的にも白い布が一番手に入りやすかったという理由もあったそうです。
他のチームと区別するために、青いたすきをかけて試合に出場していました。
今で言うビブスのような役割を担っていました。
MFC
創設時のクラブ名Madrid Foot-Ball Clubの頭文字
「MFC」の組み合わせはクラブ創設当初から採用されています。
「M」「C」「F」の順に文字が小さくなっていますが、これはスペイン語表記であるMadrid Club de Futbolに合わせているからです。
いかがだったでしょうか。普段はYouTubeで、サッカーエンブレムの解説動画を投稿しています。世界中のクラブを取り上げていきますので、ぜひご覧ください!