今回はセリエAに所属するインテルについて取り上げていきます!
ミラノ
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▼州 ロンバルディア
▼人口 137万人
北イタリアに位置し、商業・工業・金融・観光の街として国際的に著名な世界都市。
ミラノ・コレクションなどで知られるように古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄で「ファッションの都」と称されています。
インテル
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▼正式名称 インテルナツィオナーレ・ミラノ
▼愛称 インテル(Inter)
1929年に発足したセリエAとして知られるイタリアサッカーのトップディビジョンの歴史上、降格経験のない唯一のクラブになります。
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ACミランと同じ「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ (Milan Cricket and Football Club)」が前身。
外国人選手の加入問題を巡ってクラブ内で対立が生じ、ミランからの分離・独立を決める。
新クラブは「国籍を問わず世界中の選手に門戸を開く」、という意味を込めて命名された。
国粋主義を掲げるファシスト党の党首ムッソリーニが、インテルとUSミラネーゼ(Unione Sportiva Milanese)を合併させ、クラブ名を変更。
ユニフォームをセント・ジョージ・クロスをモチーフとした赤十字デザインに変更させたことで、サポーターの反感を買い、クラブ名を変更。ユニフォームのデザインも戻された。
戦争が終わり、ファシスト政権が倒れたこともあり、クラブ名がもとに戻る。
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ/サン・シーロ
開場:1926年
収容人数:80,018人
1980年、インテルとACミランの両チームに所属したジュゼッペ・メアッツァが亡くなったことを受け、所有権を持つミラノ市がその業績を称えて、スタジアムの正式名称を旧称の「サン・シーロ」から「ジュゼッペ・メアッツァ」としました。
ACミラン側は、メアッツァの在籍年数は2年のみなどの理由で「サン・シーロ」と呼んでいます。
新スタジアム
開場:2027年
収容人数:65,000人
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・クラブの創始者の一人によってデザインされた。
・円の中心に、クラブの頭文字「FCIM(Football Club Internazionale Milano)
・ミラノの紋章に描かれている「赤い十字架」と、ミラノの領主ヴィスコンティ家のモチーフである「少年を飲み込む大蛇」が描かれている。
・国粋主義を掲げるファシスト党の党首ムッソリーニが、インテルとUSミラネーゼを合併させ、クラブ名を変更。
・ユニフォームをセント・ジョージ・クロスをモチーフとした赤十字デザインに変更させたことで、サポーターの反感を買い、クラブ名を変更。
・戦争が終わり、ファシスト政権が倒れたこともあり、クラブ名がもとに戻る。
・ミラノの領主ヴィスコンティ家のモチーフである「少年を飲み込む大蛇」が描かれる。
・「少年を飲み込む大蛇」が削除される。
・色調が変更される。
・ミラノの領主ヴィスコンティ家のモチーフである「少年を飲み込む大蛇」がメインに描かれる。
・ラ・ステッラ(スクデット10回獲得を表す星)が大きく描かれる。
・ラ・ステッラ(スクデット10回獲得を表す星)がエンブレム内部に描かれる。
・クラブ創設年の「1908」が下部に追加される。
・ラ・ステッラ(スクデット10回獲得を表す星)がエンブレム上部に移動する。
・デザインが微修正される。
・「F」と「C」の文字や金色が除かれ、よりシンプルなデザインとなる。
ミラノの領主ヴィスコンティ家のモチーフである少年を飲み込む大蛇は、「ビショーネ」と呼ばれています。
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大蛇
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大きなヘビ(蛇)
エンブレムの丸い形状は、蛇がとぐろを巻く姿をイメージしています。
ミラノのヴィスコンティ家の紋章である人を飲み込む蛇
ヴィスコンティ家の先祖が森に住む人食い大蛇を退治した、あるいは彼らの先祖が十字軍遠征の際に戦って倒したイスラム教徒がつけていた紋章であるとも言われています。
IM
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▼IM Football Club Internazionale Milanoの略
新しいデザインでは、「F」と「C」の文字が取り除かれました。
いかがだったでしょうか。YouTubeでもサッカーエンブレムの解説動画を投稿しています。世界中のクラブを取り上げていますので、ぜひご覧ください!